にゃんこと別れ、路地に入る。
道か庭か定かでないので、ソッと歩く。
隙間から造船所の跡地が見えた。
さっき見た漁船の多くはここで造られたのかも。
でも、多くは寿命を迎える前に水没している。
何とも遣る瀬無い。
第一京浜に出、区切り良く
右手に見える橋まで歩いておこう。
遠目に親柱はアールデコ風。
小さいながらも好感が持てる。
「あっ、銘板が無い・・・」着いた途端、茫然。
下流側の両方とも剥がされている。
念のため上流側にも行ったが、同様。
どういう訳だ。
名前は地図にある「入江橋」だろうけど、
竣工年が判らない。
がっかりしながら何となく川側を覗いたら、
「昭和二年五月、復興局建造」の文字が見えた。
あぁ、以前記事にした霞橋と兄弟か。
(帰宅後調べたら、ある方のブログに
「戦時中の金属供出・・・」という文を見つけた。)
なるほど、こんな小さな板まで必要としたのか。
で、この板から造りだした金属は
どこの戦地で散ってしまったんだろう。
ところでこの道、江戸時代は東海道だった歴史ある道。
でも今は見ての通り、排ガスで煤け、惨め。
天下の国道15号、第一京浜なんだから
もう少し面倒見てやって。
それから次の写真は南側の親柱。
まあ何ともストレートな表現。
地元の人には切実な願いなんだろうけど、
何もここに書かなくてもいいじゃないか。
この後、違う路地を通ってスタート地点まで戻る。
狭いながらも興味が湧く一画。
季節を換え何度か訪れたい。
臭いは置いといて・・・