まもなく横浜競技場方面からの橋の袂に着く。
名前は「かめのこうはし」、
でもバス停は「かめのこはし」。
バス停の音の方がカワイイ。
横には記念碑があった。
ざっと紹介すると、
大正八年までの新羽(にっぱ)村は、
作橋、大尾橋から大豆戸を経由するか、
(この三つの場所は未確認)
(せっかく対岸に鉄道が開通したのに)
村人一丸になって建設したけれども、
出水時には通行止めになる事も多く、
時代の変化に対応しきれなかった。
(鶴見川は別名「暴れ川」とも言われ、
初代の橋も余程、か細かったのか)
小机、鳥山両町の協力もあり、無事開通した。
というのが、おおよその内容。
陸の孤島状態だったのだから、余程嬉しかったのだろう。
驚くのはこの碑が建立されたのは「昭和31年1月」。
私的にはそんなに古い話じゃない。
(もちろん生まれてはいないけど)
今日の予定は市営地下鉄の新羽駅。
もう少し歩こう。
新羽街道を境に左(西)が昔からの家並み。
各家の敷地は皆、道から少し高い。
この微妙な高さって洪水時の予防なのか。
右の新興地区は道と同じか低い所もある。
せっかく、一から作った街なのに。
盛り土にどの位のお金が掛るかは知らないけれど、
堤防一本に生活を任せるのはチョット乱暴じゃないか。
そろそろ駅に曲がろうかと思っていると、
どこからともなくあの甘い香りがしてきた。
あぁ、いい匂い。