これは一日遅れの記事です。
JR山手駅まで歩く予定。
東口から一気に急坂を登り、早くも息が切れる。
地図を用意した段階で覚悟はしていたけど、
序盤の団地内の歩きは面白みに欠ける。
私好みになるにはだいぶ時間が必用。
そんな感じで予定の四分の一が過ぎてしまった。
「こりゃ、今日のルート設定は失敗だったか」と思った矢先、
岡村五丁目で見つけたのがコレ。
渋滞をいいことに横断歩道へ回らず、
車の間をすり抜けた先にぽつんと立っていた。
「よし、今日も始まったぞ」
言葉の通り、後ろの道はかつて川だったようだ。
当然、この道を行く。
大きくうねりながら続くかつての川を、
咲き始めたしだれ桜を写しながら歩いていると、
「出た!」
説明の必要が無いほど、ここが川だった証拠。
名前は「竹の橋」、昭和34年10月竣工。
安い造りの橋だけど、残っていてくれたか。
この川が暗渠になった詳しい日付は判らないけれど、
航空写真を見ると昭和43~52年の間。
あいだを取って仮に48年だったとすると、
かれこれ41年もこの状態。
でも、危険だなんて騒ぐのは待って欲しい。
見物中も数人の子供が器用にこの隙間を
自転車で通り抜けて行った。
程々に五感を磨くような社会の方が、
子供はちゃんと順応するのかもしれない。
この記事を書いていたら気付いた。
壊した通路の幅、
穴が「3、3、通路、3 」ってなっているけど、
通路になっている部分が
穴3こ入るにしてはチョット狭い。
気のせいかな。
不思議なのはご覧の通り、
西側の道幅が非常に狭く曲がっている。
戦後すぐの写真でもこの道形だった。
この一帯は田んぼだったので、
農作業程度の交通量だったとしても、
使いづらかったろうに。
この先にも二か所、同じような場所があったけど、
いずれも橋の形は残していなかった。
川跡は続いていたけれど、
予定ルートとは大きくずれるので次回にまわそう。
後半はチョット考えさせられる場所へと進む。