ryo-kng's blog

坂があれば上りたくなり、路地を見れば入りたくなる、クラカメ片手に徘徊中

上大岡から東へ山手まで 2

 竹の橋を後に北側の稜線へ登る。

こんな山の上までも家が途切れない。

大きな桜のあるお宅を見ながら進むと、

見晴らしの良い場所に出た。

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「あっ、あの建物・・・」

思い出した、正面の白いビル。

横浜市環境科学研究所のはず。

実は、東日本大震災で福島第一、第二原発被災し、

放射性物質が放出した際、

測定値が連日、新聞に掲載された。

その中でなぜか横浜の数値が妙に低かった。

不思議に思い、どこで計測しているのかと思ったら、

滝頭(たきがしら)だった。

「なるほど、あそこか」地形が頭に浮かんだ。

写真は北側から撮影。

この辺り、ぐるっと山で囲まれ、

開いているのは東から南東部のみ。

横須賀の核燃料工場や原子力空母

事故を念頭に入れ、この場所にしたなら

支障は無かったろう。

でも、北東部の福島原発の事故は想定外だった。

山の陰で計測値が低くなったんじゃないか。

今は別の場所で計測中。

ミモザの木を眺めながら一旦、掘割川まで下る。

 

 さて、次は目の前の山の上。

「米軍根岸住宅」を目指す。

真っすぐだけど、急な坂道を上り詰めると

正面に武骨なゲートが現れた。

(この後は無用なトラブルを避けるため撮影中止)

でも、想像していたよりものんびりした感じ。

日本の中でも自由に歩けない場所が目の前にある。

フェンスを横目にゆっくり進むと、

「あっ、(バイクに乗った)お巡りさん」

まさかもう呼ばれちゃった?

 

 数ヶ月前の新聞になぜかこの敷地内に残る

日本人男性が「耐えがたい不便な生活をさせられている」と

政府を訴えた記事が載っていた。

一応、この地区は返還が決定しているらしいけど。

   参考までに4月12日(土)10時から

   ここの一般公開があるらしい。

日本とアメリカを隔てる路地を下っていたら、

「ぴー、ぴー、ぴー」と三回、電子音が小さく鳴った。

警報システム、作動させたかな?

歩いていただけだよ・・・

 

 知らなければ進めない道を行くと現れた。

横浜市根岸共同墓地」

米軍住宅と接し、広大な敷地。

明治時代からここの歴史は始まったらしい。

市内には「久保山墓地」もあるけれど、

向こうが整然とした物なら

こちらは石垣は崩れ、墓石は傾き、

ちょっと不気味さを漂わせている。

それでも今日はお彼岸の日曜日で人でも多く、

天気もいいので普段より明るいんだろう。

聞くところによると、子孫の方とも連絡が付かず、

荒れてしまったお墓も多いとか。

少子化核家族化の影響で

日本のそこかしこでこういった問題が増えるのか。

線香と生花の香りが漂う路地で

サッカーに興じる子供たちを見ながらそう思う。

「あっ、さっきのお巡りさん」

 

 いろいろ考えさせられながら、

もはや崩壊寸前の商店街を横切り、

最後のひと昇りと思ったら、

同じお巡りさんと本日三回目の遭遇。

微妙な地区とお彼岸で人手の多い時期だから

パトロールを増やしているのかな。

もうすぐ山手駅だけど、もう一か所寄っていこう。

 

 そこの名前は「根岸外国人墓地

別にお彼岸だからこのルートを選んだ訳では無く、

なんかこうなちゃった。

この墓地、観光で有名な方では無く、

駅の近くにありながら訪れる人も無くひっそりしている。

向こうは有名人や成功者、著名人が

多く埋葬されているのに対し、

こちらはごく普通の人や嬰児が多い。

戦後の混乱期に米兵と日本人女性との間で

人として生きることが出来なかった多くの魂が眠っている。

(この件に関しては異説もあり、未確認です。

ただ、多くの命が闇に消えたのは事実でしょう)