狸坂を訪れる前に興味を引かれた場所がこの奥にある。
大黒坂をちょっと下った大法寺の東。
Google Mapsにはこの奥に「天正十年の石組み」とある。
天正十年だぞ!!!
誰もが歴史で勉強したあの事件が起きた時の
石組みがこの奥にあるのか。
江戸は苅萱ばかりではなく石組みを必要とする
街並みが存在していても不思議では無いけれど
今まで知らなかった。
古いけれど妙な味を出しているお宅の前を進む。
でもこのお宅が乗っている石垣、大谷石なんだけど。
まあ、日本人が大谷石を築材として
いつから使っているかは知らないし、
これがそうなのか?
大正十年の間違いじゃないのか w
腑に落ちない感じで坂を下ると・・・
これか!
え?
何か思っていたのと違う、小ちゃい。
高さ2.5m程度の大谷石の石組みの真ん中に
はまってる石に確かに「天正十年 五月建之」とある。
これは・・・墓石なのか石碑なのか。
肝心の部分が意図的に?削られたようで何か不気味。
大法寺の石組みなんだろうけど
ネット上はもちろんの事、
大法寺のインスタにも情報無し。
触れちゃいけない事柄だったりして。